グアムの歴史

グアムの歴史

グアムの歴史

古代チャモロ時代から現代まで

紀元前〜1500年 
古代チャモロ時代

グアムの歴史の始まりは紀元前1500年頃。フィリピンやインドネシアなどの東南アジアから海を渡り移住してきたのがチャモロ民族の始まりです。近年の遺伝子調査では、日本や中国など極東アジアと古代チャモロ人との関係も明らかになってきました。
その頃、人々は海辺で漁を行うなどして穏やかに暮らしていました。漁はチャモロ人にとって生活の一部。カヌー作の技術や、星の位置などから方角を正確に読み取る能力などは非常に優れており、現在もチャモロ人の漁(フィッシング)技術は高く評価されています。

800年〜ラッテ期

ラッテストーンと呼ばれる巨石建造物が作られるようになりました。一体何のために作られたのか謎に包まれていますが、有力者のお墓説、祭事の象徴説、家の土台説などがあり、現在のところ家の土台説が最有力とされている。

ラッテストーン

1521年 
マゼラン上陸

16世紀になり初めてグアムの歴史を揺るがす出来事が起こります。1521年3月6日、世界一周をしていたポルトガルの探検家マゼラン一行がグアム島に立ち寄ったのです。裸同然の自給自足の生活をしていたチャモロ人が、洋服を身にまとい鉄の武器を持った西洋人を初めて見た時の驚きはさぞかし大きかったことでしょう。


1565年〜
スペイン統治時代

1グアムの名が西洋に知れ渡り、1565年、333年間に及ぶスペイン統治時代が始まります。スペイン統治によって、グアムの人々の暮らしは大きく変化していきます。現在人々の精神的な拠り所となっているカトリックも、1668年神父ディエゴ・ルイス・デ・サンビトレス率いるイエズス会の宣教師団によってもたらされました。その他、農業や畜産業もグアムで始まり、人々は洋服を着るようになっていきます。

1668年スペイン・チャモロ戦争

しかし元々グアムでは先祖と自然を崇拝して暮らしてきたことから「先祖崇拝」を強く禁じたカトリックへの反発も大きく、次第にそれは1668年スペイン・チャモロ戦争へと発展していきます。激しい戦いの後、チャモロ人が降伏。1695年の終戦時には10万人いたと言われるチャモロ人は5000人以下に減ってしまったと言われています。しかもその多くは女性や子どもだったようです。


1898年〜
アメリカ時代の到来

その後1898年、スペインがアメリカの戦艦を沈没させたのを機に、米西戦争が始まります。スペイン領のグアムもアメリカ海軍の攻撃を受けます。同年大敗したスペインはパリ条約によりグアムを手放し、グアムはアメリカ領となるのです。それまでスペイン統治にあったグアムは、次はアメリカによってさまざまな変革や改善がもたらされますが、それも1941年日本軍の真珠湾攻撃により終わりを迎え、日本軍の31カ月に渡る占領が始まります。

1941年〜1944年 日本占領時代

世界は第二次世界大戦へと突入し、グアムの歴史もその戦争に翻弄されます。1944年グアムを占領していた日本軍から奪還するためにやって来たアメリカ海軍によりグアムは戦場へと化し、3週間に及ぶ激戦の末、グアムは再びアメリカ統治下になります。そして1950年正式にアメリカ自治属領(準州)となるのです。

マゼラン一行のグアム上陸から第二次世界大戦終結までの約400年はグアムにとって、それまでの穏やかな暮らしとは異なる、世界に翻弄された期間でした。しかし現在、グアムはアメリカ軍の太平洋戦略上の重要な基地としてその役割を果たすと同時に、大きく成長した観光業を中心に近代都市として成長を続けています。またチャモロ文化の継承や存続のための教育に力を入れるなど、再び彼ら自身のルーツを探る活動も活発に行われています。

1972年 横井庄一発見

グアム島で28年間潜伏生活を送っていた旧日本兵の横井庄一軍曹が発見される。



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